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ヤクルト、西武と争奪戦! 松中は清原の後釜だった!? [スポーツ]

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【球界ここだけの話】

 ソフトバンクを退団し所属先のなかった松中信彦内野手(42)が1日、引退を表明した。

 私がヤクルト担当だった1996年のオフのこと。当時のドラフトは逆指名制度だったが、松中争奪戦が繰り広げられたのを思い出す。

 ヤクルトは高年俸に加え、衰えのみえていた主砲・オマリー(現阪神打撃コーチ)の戦力外を決め、全日本の4番で新日鉄君津(現住金鹿島かずさマジック)の松中獲得に乗り出した。

 松中は地元九州のダイエー(現ソフトバンク)入りを希望。しかしダイエーは巨人、中日との大争奪戦を制し井口(現ロッテ)の1位指名を決定し、松中は下位指名するとみられていた。

 当時の君津は、後に早大の指揮を執る応武篤良監督。「全日本の4番が下位指名なんてみっともない」と1位指名を確約しているヤクルト入りを勧めていたと、私は聞いていた。

 実際にドラフト会議まで約1カ月前の、10月18日のサンスポ紙面には、松中が初めてヤクルトとの交渉の席についたことを報じ「松中グラリ。ヤクルト、下位指名のダイエーから強奪」という記事が掲載されたこともあった。

 ところが今年に入って、新事実を耳にした。1月に松中が入団テストを受けるために、売り込みを始めることを発表したときのこと。

 西武・鈴木葉留彦球団本部長に獲得の可能性があるか聞きに行くと「前はあったけどな。俺が担当スカウトだったんだけど。ヤクルトだったら、ウチの方が可能性があったよ」と明かした。

 応武監督は鈴木本部長の早大の後輩。西武は十分に脈があると踏んでいたようだ。

 「清原が急にFAで出ていくことになって。清原の後釜にしようと、何回も君津に通ったよ。『うちに来てくれるか?』と聞いたら、返事はなかったけど(笑)」と懐かしそうに振り返った。

 結局、ダイエーは松中の指名順を下位から2位に上げ、ヤクルトは伊藤彰投手(現山梨学院大監督)、西武は玉野宏昌内野手を指名。くしくも翌年は、松中に振られた両チームが日本シリーズを戦うことになるのだが、1位指名の選手はともに活躍できなかった。

 ちなみに翌1997年のドラフトでヤクルト、西武両球団とも、獲得決定的とまで報じられた高橋由伸を巨人に文字どおり強奪され、2年連続で散々なドラフトとなった。

 くじ引きのドラフトもドラマがあって面白いが、いま思えば逆指名を巡る取材も面白く、ドラマがあった。(塚沢健太郎)

引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160302-00000529-sanspo-base

松中選手がそんな扱いを受けていたとは思いもしなかったです。
いかに清原和博というビックネイムがすごい選手だったことがわかります。
だけど、結果でいったら清原和博は無冠だし、松中選手は三冠王ですから!!



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